教 師 冥 利
天坊 和彦(41商)
4月は年度がわりの月である。この時期はサラリーマン社会では新入社員を迎え入れ、オンザジョブで仲間として育ててゆくのが一般的であろう。神妙な顔をして熱心に、しかもぎこちなく仕事を進めていた若者が何年か経って再会するともう堂々とよどみなく自分のペースで仕事に取り組んでいる。そんな姿を見かけるとなんとも頼もしく、我がことの様に嬉しくなるものである。これは一種の教師冥利のようなものかもしれない。
先日私はボランティアーでお手伝いしている視覚障害の仲間たちと、ある会社の職場見学を行った。そこでは視力がほとんどなくなってしまっている若い女性がパソコンや拡大読書機を机に載せて働いている。彼女は昨年までその日の見学者同様、四谷にある視覚障害者の職業訓練施設「社会福祉法人日本盲人職能開発センター」というところで訓練を受けていた。そしてその成果で見事就職し、現在は立派な社会人としてその会社で働いているのである。その会社の社長は、初めて視覚障害のある方を採用したので最初はどうしたらよいかとの戸惑いもあった。しかし彼女の明るく素直な性格と前向きな仕事への取り組み姿勢が社内の雰囲気を一変させた。みんなが彼女への気配りをするようになったのはもとより彼女以外の他人についても色々な気遣いをするようになったことは大変な収穫だと胸を張って彼女を紹介してくれた。
私は今から8年ほど前、 原因はいまだに不明なのだが急に視野が欠けだし、数年の間に全く視力がなくなってしまった。私の場合そんな時期が、たまたまもう55歳を過ぎそろそろ第二の人生を考えるタイミングであったため、比較的恵まれてはいた。それにしても本や新聞が読めなくなり、字を書こうとすると曲がってしまったり、重なってしまうのには参った。人間が視覚から得られる情報は五感全体から得られる情報の7〜8割を占めるという。それまでの銀行員生活ほど必要はないにしても、新聞が読めなくては知識や情報が半減し字が書けなくてはコュニケーションにも事欠くことになる。 セカンドステージとは言え、さすがに途方にくれているところに、先述した職能開発センターの存在を知りその門を叩いた。
そこでは一年間コースで音声出力によりワード・エクセルなどのパソコン技能をマスターさせ、インターネットも実践的に教育する。インターネットが出来れば新聞も読めるし情報の範囲は無限に広がる。私自身は都合で半年しか受講できなかったが、そんなご縁があったため、リタイアー生活に入った折りセンターから暇ならお礼奉公をしてほしいとの要請がありボランティアを引き受けた。私は中学高校時代の友人のサポートを受け、この数年間毎週一回半日間そのセンターでゼミ形式により、社会人としての社会経済の常識を講義してきた。冒頭に述べたことはその講座で行った会社見学会の一こまであった。
余談ではあるが、このホームページの編集に携わる最上先輩も同じセンターでボランティアとしてエクセルなどのパソコン技術を指導されておられる。このコラムは最上さんからのご要請に基づき寄稿させていただいたものである。
バブル崩壊以降の長期にわたる不況もようやく長いトンネルを抜け出し、 失業率もかなり改善されて来た。 とはいえ、障害者手帳 1・2級の重度の視覚障害がある場合の就業は未だに極めて厳しい。 しかし拡大読書機、音声パソコン、光学自動読み取り機などの補助用具も進歩は著しい。また必要に応じて ヒューマンアシスト制度という障害者雇用を促進させるための 補助者に対する助成金制度を活用することも可能である。 こうした環境を整備し、周囲の人の理解と指導により業務知識が身についてくれば、 重度の障害はあってもそれなりの仕事もこなせるようになることを是非知っておいていただきたい。
とはいえ障害のある人たちへの指導にはかなりの忍耐と寛容さが必要なことも忘れてはならない。職能センターでの教育を見ていると、私などは足元にも及ばないが、先生方の指導はまさに忍耐力と寛容さの連続であり、頭が下がる。そんな努力が実を結んだときの満足こそ真の教師冥利というものなのだろう。
この四谷のセンターで技能を身につけた生徒さんたちはほとんど全員立派に就業している。障害はあっても素直で明るい人柄で自立して働く意欲のある人たちには何とかして就労の機会を作ってあげたい。現代の資本主義経済体制の下では組織としてはある程度の競争は避けられまい。しかしながらこれからの成熟社会においては心のゆとりと思いやりの精神をもって人を育てることこそが肝要だと思う。
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