待ち遠しい球音(そのU)−学生野球を考える−
六大学野球応援会 増田 弘(32 経)
*  1950年代(第二次大戦後)のスポ−ツは早慶戦を代表として野球界が−都市対抗−プロ野球と発展してきた。ベ−スは学校代表、対抗戦形式である。従ってプレ−ヤ−は選ばれた選手である。21世紀になり高齢化社会と共に日本のスポ−ツ界は、健康維持の個人参加型に大きく変わりつつあると思う。学校内でも同じ傾向で慶應の場合を例に見ると、50年前と比べると4〜5チ−ムだった軟式の塾公認チ−ムが今は20数チ−ムあると言う。僕自身も「球拾いしているより試合した方が面白いぞ...」と随分仲間に誘われた経験がある。最近ではグラウンド難、資金難等からこの塾内対抗は行われていないようだ。この中のクラブチ−ム「エマノン」は“慶應エマノン倶楽部”として神奈川県のクラブチ−ム大会に参加している。他所の大学でもOB会が中心でこれらの大会に数チ−ムが参加している。 最近欽ちゃん球団に代表される倶楽部チ−ムが全国に250チ−ムくらいあるそうだ。今後“エマノン倶楽部”と同じようなチ−ムが出てくるだろうし、学生が体育会野球部に入らず、学外の倶楽部チ−ムに入るケ−スも増えてくるくると思う。これら倶楽部チ−ムの野球シ−ズンは六大学野球と同じ時期になるので、当然学生は「自分でプレ−」する方を選び神宮へは来ない。慶應だけの現象ではなく、各学校皆同じ傾向である。
*  六大学野球の人気復興は、この「見て楽しむ型」から「自己プレ−型」に変わっていることを前提に考えなくてはいけないだろう。六大学は伝統が長く、古いだけにどうしても新しいやり方への転換が遅い。
 「武士道的な体育会」の伝統を変えていくには、「部内引きこもり型」の野球部員が、一般学生の中にもっと溶け込む事が必要だと思う。そしてよい野球、例えば「シングルキャッチを絶対しない」「全力疾走」とか「慶應らしい野球」をやれば必ずファンは出来てくる。そして、神宮には仲間が集まり応援指導部の指揮の下、母校愛を培う。勿論、連盟としての対策も必要なことは言うまでも無い。理事長の当番校制度も改めて、長期的な責任体制が改革には必要だと思う。
*  指導者の体制もプロアマ問題等歴史的な繋がりは否定できないが、監督はOB会の推薦、企業からの出向等はもう時代にそぐわない。戦後50年の歴史を経て、野球部OBの中からも塾内に教授が出てきている。学校がその先生の中から、専任監督を選ぶべきだと思う。そして、よい指導者は時間を掛けて育成するしか無い。
  数年前、アメリカ、ベイエリアの3つの大学の体育設備を中心に見学してきたが、その大きさと設備には驚いた。日本も新しい大学ほど体育設備は良いが慶應の設備は古すぎる。150周年を期に立体的な増強をして欲しいものである。
          私のブログをみて下さい。(http://massy-academy.blog.ocn.ne.jp)
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