版 画 と 私
日紫喜 克基 (S29 法)
江戸幕府文治政策の下で続いた二百四十余年の平和は、美と生活とを密接につなげる日本文化の伝統を一層民衆的な次元まで広げました。これまで貴族、武家ら支配層の場で育てられてきた美術は、民衆の生活の中に移され、そこで 新たな発展を見せたのであります。それは世俗的生活の強いものですが、多彩さ、質の高さの点で、同時代の世界諸国の美術と比べても際だったもので、それが権力や富の庇護なしに民衆の自発的意欲と創造性によってもたらされたことは驚くべきことであります。
その代表的な文化芸術的遺産のひとつに、世界に誇る浮世絵がありました。
あるとき、銀座画廊の店主から、非公開の貴重な「浮世絵」を見せていただきました。その美の極致ともいえる「浮世絵」に感動させられたのが、私が「版画」に魅せられたきっかけでした。
浮世絵は、歌麻呂のような絵師と、彫り師、刷り師から成りますが、昨今の「創作版画」は三つの作業を一人で制作するところに差異があります。六十歳になって始めた創作版画は、私の人生のなかで最も親しい友人の一人となりましたが、少しでも手を抜くと厳しく叱責されるところが魅力です。
 人生には全く予期しない「まぐれ当たり」というものがあるものです。各地で開かれる「公募展」に出品して、そこそこ入選・入賞を戴いてきましたが、高嶺の花ともいうべき「川上澄生木版画大賞」の入選は全くの奇跡としかいいようがありません。
しかしもう一度と挑戦しても、同じ柳の下にどじょうはいませんでした。
「そぞろ物語り」に「煩悩の家の犬、打てども去らず」というくだりがあります。その意味するところは、ひとの妄念は飼い犬のように、追っても追っても付きまとい、なかなか離れようとしないということでした。
萩原朔太郎の詩に、「この見もしらぬ犬が、わたしのあとをついてくる、みすぼらしい不具の犬の影だ。 ああ、どこまでも、どこまでも、後ろ足ををひきずってついてくる」と詠ったのを思い出します。
 そのようなもろもろの煩悩のイメ−ジを描いたのが、この「煩悩の犬」です。
旅行の思い出に描いた画も併せてご笑見下さい。
私には、独自の画風などというものを持ち合わせていません。写実、具象、抽象、模写、その他何にでも 手を付けてみたくなる移り気ですから、画を見た方から、これとこれとは同じ作者ですかと聞かれる始末です。「ト−シロ−」の気まぐれとお許しください。
 この様な版画を細々と描いています。
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