選抜大会に寄せて
宮川 保弘(S40 経)
昭和35年春、私は慶應高の捕手四番打者として甲子園に出場し、準々決勝まで進出した楽しい思い出が有ります。高校球児にとって甲子園は本当に憧れの舞台です。
左が渡邊投手 右が筆者
甲子園では鹿児島商、東邦高を破りましたが準々決勝で秋田商に延長戦の末敗れ優勝の夢は実現しませんでした。夏は残念ながら神奈川大会の決勝で延長の末、法政二高に敗れ春夏連続出場は出来ませんでしたが、法政二高が全国優勝したので「私達の力も全国レベルだったな」と今でも渡邊投手(慶大一南海)と言っています。
一昨年、慶應高が私達以来45年ぶりに選抜大会へ出場し私達OBを興奮させてくれたものですがここで選抜の選考について少し述べてみたいと思います。

同じく左渡邊投手 右筆者
選抜は基本的には前年秋の地区大会の成績と特殊事情が考慮されて決まります。私達の時代は神奈川大会で優勝し関東大会でも渡邊投手が銚子商20、大宮高 21、甲府工12と3試合で三振53個を奪い失点1と言う圧倒的強さで優勝しました。この年関東地区は2校選抜されましたが2校目は三振21個を喫したにもかかわらず「渡邊投手から1点取った」ということが考慮され準優勝の甲府工を抑えて大宮高が出場権を得ました。
又この年東海地区は伊勢湾台風で東海大会が行えず選考は大変でしたが静岡高校が練習試合と言え「渡邊の慶應高に勝った」と言う理由で最初に選抜されました。又一昨年の慶應高は神奈川大会準優勝で関東大会に出場し、関東大会ベスト8で甲子園に出場し甲子園ではベスト8まで進出しました。つまり一度も優勝しなくても出場はあり得ると言うことです。夏は地方大会優勝が甲子園出場の条件ですが選抜は上述の如く必ずしも上位に居たからといって出場出来ない不運もあります。これが選抜の特殊事情と言えましょう。

夏は一本勝負、春は試合の内容が決め手になるのでどちらにしても甲子園に出るのは実力以外に運も有るのです。

因みに秋田商、大宮高、静岡高は夏も出場していますので矢張り強かったのです。一昨年の慶應高も夏は桐光学園に敗れはしたものの神奈川大会の決勝まで進出したのです。春にしても夏にしても甲子園に出場することが出来るか又学校が出場しても自分が選手として出られるかどうかなど甲子園の裏には悲喜こもごも有りますので、純粋な高校野球を今後こういった観点からも観て頂くと勝ち負けはどうでも良いじやないかと言う気持ちになるのは 私だけではないと思います。


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