ビクトリア瀑布の国 ザンビア瞥見
太田 辰幸(S38経)
2007年12月、アフリカのザンビアを訪問する機会がありました。残念ながら観光ではなく、調査(ODA関連プロジェクト評価)団の一員として行ったので見聞は限られますが、ザンビアとはどんな国か、簡単に紹介し、印象を記してみます。
 
真冬の成田から香港、南アフリカのヨハネスブルグを経由し計18時間飛んで真夏の緑したたるローカル風情のルサカ空港に降り立ち、首都ルサカに2週間滞在しました。その間に悪名高いムガベ大統領のジンバブエとの国境近くまで足をのばし、アフリカの自然にもふれることができました。ザンビアはアフリカ南部の内陸国で、周囲8か国に囲まれ、国土はわが国の2倍、人口は10分の一、世界第二の銅生産を主産業とした、一人当たり所得600ドル余(2006年)、世界でも最貧困国のひとつです。首都ルサカはおよそアフリカらしくない近代的なスーパー、モール、レストラン、ホテル(インターネットあり)もあり、治安もよく、ここなら住めないこともない、と思えます。それにひきかえ農村地帯にはまだ電気、水道もなく、トイレさえ不備な土造りの粗末な民家が散在し、まさにアフリカそのもの、都市との格差がすさまじいものがあるようです。ザンビアは1964年英国から独立以来隣国のコンゴ、アンゴラ、ナミビアなどでみられたような民族紛争、飢饉、内乱は少なく、国情は比較的平穏で安定しており、この国はいわゆるアフリカに対する偏見が当てはまらないようです。ただエイズ(15−49歳人口の実に20%以上が感染)の蔓延は他のアフリカ諸国にましても深刻なものがありますが。

この国は意外にも世界史的には全アフリカ53カ国のなかでもわれわれに馴染みがある国で、たとえばここは人類揺籃の地の一つとされ、10万年前の初期ホモ・サピエンスの遺跡があるとか、19世紀半ば探検家リビングストンが英国人として初めて訪れ、ジンバブエとの国境沿いの大瀑布を英国女王にちなんでビクトリア・フォールズ(ナイアガラ、イグアスと並んで世界三大大滝の一つ)、と名付けて、近くに彼の名前の町が残っているとか、また独立前は北ローデシアと呼ばれていたが、この国名は同国植民地化に暗躍した大悪人の富豪セシル・ローズ(悪計のかぎりでアフリカ各地の征服を重ね、中国、日本の支配を図っていた男。宝石商デ・ビアースも彼の会社)から由来しているなどなど(なお、ジンバブエの旧名は南ローデシア)。(なお、ついでながらザンビアの国名は同国南から国境沿いにジンバブエまで達する大河ザンベジに因んでおり、この河がビクトリア瀑布の水源となり、アフリカ南北に走った亀裂が大地溝とよばれる長大な谷を形成したことによって高さ、最大流量とも世界一といわれる滝が生まれた)。
車中から高原の人口希少で広大な国土のこの国をみると、最後のフロンティアかとも思えます。ここ数年アフリカでは海外からの投資も増え、全体的に成長率も上昇しており、アフリカの時代の到来も満更夢ではないかも知れないと思ったことでした。
 

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