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                <教会通り>の洋子さん                                                                                
  松倉 公子 (S42年 文)
荻窪駅の北口へ出て左へ折れ、青梅街道の、西友の前あたりを渡ると、くねくねした細い商店街があります。〈教会通り〉と呼ばれています。その程近いところに、10年近く前、絵本作家で、エッセイスト、作家でもある佐野洋子さんが越してきました。
私が子どもの本の出版社の新米編集者だったころからの知り合いです。『100万回生きたねこ』という超ベストセラー絵本の作家で、絵本の魅力は勿論、いつの間にかユニークな文章のほうでも、熱烈なファンが増えていました。



 エッセイ『役にたたない日々』のなかで、洋子さんはこの〈教会通り〉で出会った、さまざまな人たちを書いています。
 
   
  「くせえから、きらいだ」といってセロリを置かない八百屋のおじさん、「ガラ、ないよ。うちのはみんな料理屋がもっていくの。水曜日の11時半頃までにくれば1つ2つやらんでもないよ」ともったいぶった鳥屋のおじさんの暗い情熱、怒りっぽい文房具屋のおやじとのやりとり。洋子さんはおじさんたちの不機嫌さに、熱いシンパシーを感じていたのです。洋子さんも、にこにこ顔は似合わないひとでした。
 この通りで噂に聞いたフリフリのエプロンドレスのおばあさん姉妹を見かけると、洋子さんは逃すものかとあとについて、そば屋まで入って相席し観察します。洋子さんはあの大きな目で興味しんしん、じっと見ていたのでしょう。思いがけないところに、好奇心を燃やすひとでした。
 お近くだからと、時々押しかけては、おしゃべりをしたわたしも、あの大きな目ン玉でじっと見られると、自分がとても底の浅い、常識過ぎて面白くない人間みたいな気がして、お尻がむずむずしたものです。
  『神も仏もありませぬ』で小林秀雄賞を受賞、お母さんのことを書かれた『シズコさん』は母親との確執に悩んだ女性たちの共感を得ました。

 佐野さんが紫綬褒章をもらったというので、わたしはびっくりし、「なんで勲章なの」と聞いたら、「知らない、なんでかねえ」といい、「第一礼装ってどんなの着たらいいのかなあ」と着物のことを心配してました。

 4年ほど前に、以前かかった乳がんが転移し、お医者さんから「あと2年かなあ」と言われ、その間かかる費用を聞いたその足で、ジャガーを買いに行ったエピソードもあります。
 外へ出られくなくなって、訪ねていくと「なかなか死ねないよ」と言い、最後に病院にいったとき、取り乱したわたしが「佐野さん、だいじょうぶ?」というと、「だいじょうぶなわけないじゃん」とニコリともせず言いました。
 最後の雑誌連載していたエッセイのタイトルが「死ぬ気まんまん」。
 

2010年11月5日衛生病院で亡くなられました。ことばで語れないほどの思いがあります。いつか、「これあげる」とさりげなく渡された帯が形見になりました。「あんた、友だちだったっけ」と言われそうですが、大好きな大好きなひとでした。見事な人生だったと思います。   さようなら、洋子さん。



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