風 の お 噂
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前田 昌信( S35 工 )
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「風」を広辞苑で引くと[大気の圧力差によって空気の動く様]、と何の色気もない説明がある。一方、 「風」と他の言葉との組み合わせによって様々な人の生活に身近な比喩的表現の在る事に気がつく。
風だけあって、バラエテイに富んだ表現に変身するのかも知れない。 |
一寸無粋な世渡り的な表現、「風が吹けば桶屋が儲かる」、「風になびく草」、「柳に風」、方向性が入ったものには「風を読む」、「風向きが変る」、「風に付く」、「風を掴む」、「風の吹き回し」、など「風見鶏」的様子見を表したもの、受身的な「臆病風に吹かれる」、能動的な「肩で風を切る」、「風を吹かす」など「風上に置けない」無責任時代の代表者に被せる表現もある。
ロッシーニのオペラ、セビリアの理髪師に音楽教師
ドン・バジリオの歌う“陰口はそよ風のように”とか、“知っている”とストレ-トに言えない時に「風の便りに聞きました」とはずす表現、最近流行の迷惑「風評」など
“噂”の意味にも使っている。お日様と勝負する北風君 、怖そうで、しかしユーモラスに画かれた「風神」の顔を思い浮かべながらもう少し「風流」な表現を探してみよう。
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「風流」には詩歌、絵画、華道、書道など芸術、自然に親しむ趣が感ぜられる。「風月主人、清風明月」美しき夜その「風雅」を楽しむ主人公なること、とある。「風光明媚」は山水の景色清らかで美しき様である。俳句には基本として季節を読み込む。身近な、春夏秋冬、“冬”、“夏”と風の結合は、どうしても「風邪」の方を思い起こさせ、響きが良くない。“秋”という言葉、単体ではキュンと締まった趣のある風情が感ぜられるが、風と結ぶと「秋風」。雰囲気は黄昏、冬の一歩手前。一方、「春風」は、ほのかな気分の良さ、これからの昇りを感じさせる。
平家物語、沖に陣取る平家方から飾り立てた小船が一艘、紅地に黄金色の日輪を描いた扇を竿の先に立て、汀の源氏方に向かってこれを射よと招き挑発をする。折しも「北風」が激しく吹き、的を乗せた小船は揺れる。海の中に少し乗り入れた馬上の那須与一宗高は“南無八幡大菩薩、あの扇の的の真ん中を射させたまえ!”と心に念じ、目を開くと風も弱くなって、矢尺一杯引き絞って放つと与一の鷹羽の鏑矢が美事扇の要近くを射切り、扇は空に舞い、春風に一揉二揉もまれて海に落ちた。平家は船縁を叩き感心し、源氏は鎧の箙を叩いて囃したと言う“扇的の一節”、できるものなら琵琶を抱えて一節謡いたい感動の箇所である。戦いの話の中にも絵画的な叙情的表現が美しい。此処にも与一、源平両軍の不安を「北風」で、与一の的中、その後の源氏の成功を「春風」で暗示しているように想える。 |
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フィレンツェ・ウフィッチ美術館にあるボッテイチェリのギリシャの神話を元にした愛をテーマにした作品、 “primavera,春”には、春を運ぶ西風の神ゼフュロスがほほを膨らませて暖かい愛の春風を吹いている。彼は妖精のクロリスに恋をして体に触れ、フローラ(花の女神)に変身させている。変身途中の彼女の口からは花が溢れ出ている。このゼフュロスとクロリスは“ヴィナスの誕生”にも画面左側に登場し、ヴィナスの乗った貝の船を岸辺に吹き寄せている。(なぜか東西の風の神は青緑色に描かれている。)
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杉並三田会には、“Viento(風、スペイン語)”コーラスの会がある。雰囲気からすると、風はささやく“お噂” というより元気な“春風”のようだ。会員の面々はいたって陽気だ。命名した方に敬意を表しよう。
楽しく杉並三田会の風!
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