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杉並の風
      
 コップ半分の水
  野沢聡子(42文)
 
 コロンビア大学の大学院に私が入学したのは1996年の秋。その時、すでに私は中年のオバサンだった。
 「それにしても何故キャリアを捨てたの」とよく聞かれた。タフな仕事もできなくなる時が来る。そんな時、男性には管理職というポストが用意されているのだろうが、私はずっと現場で働き続けたせいか、メニエール病になり、そして仕事を辞めた。
 その1年後、私は学生になっていた。
 アメリカの大学院で取った講座「紛争・問題解決」(Conflict Resolution)は、大きな部屋に黒板が一つ、その周りに学生は椅子を並べ、教師は学生との討議を中心に授業を進めていくもので、あの著名なハーバード大学のサンダース先生の授業スタイルと同じだった。
 授業のやり方以上に驚いたのは、学生同士で寸劇をする「模擬交渉」というグループ演習だった。用意されていたシナリオは「国際紛争」と思いきや、どこにでもあるような「ご近所トラブル」など。「えっ、これが大学院の授業」とカルチャー・ショックを受けた。
「模擬交渉」後は全員でのディスカッションが延々と続く。そこで「話し合いの中で多くを学ぶ」ことの大切さを学んだ。
 あれから19年あまり。「紛争・問題解決」の方法として紹介されていた「協調的交渉」を学び、それを日本で紹介するために「模擬交渉」の演習を大学や企業研修でやったが、あの時のような熱い議論になることは日本ではめったになかった。国民性の違いなのだろう。
 「あいまいなまま、納得できないままというのは自分のためにも、まわりのためにもならない。対立や衝突は問題を顕在化する。大事なのはそれをどう対処するかである」という問題解決に対する前向きな考え方とのアメリカでの出会いは、問題が起こったら「事を荒立てず、譲歩や妥協をするか、問題が下火になるのを待つべし」とそれまで考えていた私を根底から覆すものだった。
 コップに半分ある水を「もう半分しかない」と見るか、「まだ半分ある」と見るか――「発想の転換」により物事を別な角度から見ることはそれほど簡単ではない。
 だからこそと、互いの「主張」ではなく、その下にある「欲求」を見極めて問題解決を目指す「協調的交渉」のテキストを翻訳して日本に紹介しようと日本人留学生仲間で話がまとまり、その後、私が「協調的交渉」を日本で紹介することになろうとは…。
 人生って何が起こるか判らないと今もつくづく思う。


 

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