最近書棚を整理していた時にふと目に留まり読み返してみました。若い時に読んだ時は新吉氏の戦争生活が前面に出た読み方でしたが、60歳半ばで読み返すと父の立場で読んでいるのに気が付きました。この本は太平洋戦争に出陣した小泉新吉氏を題材にしたものです。本の構成は大半が戦地から送ってきた新吉氏から家族あての手紙が主体となっており、
名文家として知られる父の小泉信三氏がそれに解説を加えるなど補助的役割を担ったものになっています。
本を開くと冒頭に海軍省から送られてきたご子息戦死の電文が目に留まります。
今から約100年前に生まれ幼稚舎から大学まで慶應義塾一筋に学び育ち、その時から海軍に入ることを夢見ていた若き好青年を描いた物語です。他の戦争を描いた小説や伝記に比べると暗くて悲惨な戦争場面の記述は一切なく海軍軍人としての生活の愉しさや笑い中心で過酷な戦闘場面を体験しているのに一切そのようなことには触れていない新吉氏の生い立ちから始まり、成長するにつれて無類の海軍好きの少年となり、中学生の時にはイギリスで毎年出版される高価な海軍年鑑を自分で購入し熟読し着々と海軍入りを準備していた姿が読み取れます。
大学を出て三菱銀行に数か月就職し、その後希望していた海軍に入隊、さらに海軍士官入隊後は、筆まめの新吉氏は家族あての手紙を34通送りました。その中で特に父母に送った手紙には心配させないように艦上生活の愉しい一面のみを語る心遣いを見せるなど文面から当時の青年らしい純朴な人柄が伝わってきます。また、親に対する言葉遣いや手紙の文体、親戚付合いの密度など今とはずいぶん異なり家族、親子の愛情、手紙故の温かみがあり、文中に出てくる和歌の心情描写はとても印象深く日本文化の深みを少なからず形として心に残りました。そして、75年前の上流社会に属する日本人はこういう物の見方や日常生活をしていたのかなと垣間見ることができた気がしました。
この「海軍主計大尉 小泉新吉」は子供の時から憧れていた海軍に志願して昭和17年10月に戦死したわが子の鎮魂歌ともいわれております。
数多くの手紙のやり取りの中で信三先生から新吉氏に手渡した後世に語り継がれるといっても過言でない手紙があります。それは次の通りです。
君の出征に臨んで言って置く。(以下原文)
吾々両親は、完全に君に満足し、君をわが子とすることを何よりの誇りとしている。僕は若し生まれ替って妻を択べといわれたら、幾度でも君のお母様を択ぶ。同様に、若しもわが子を択ぶということが出来るものなら、吾々二人は必ず君を択ぶ。人の子として両親にこう言わせるより以上の親孝行はない。(以下省略) 父より
これに対しおそらく、新吉氏もまたこの世に生まれてきたときには必ず信三先生夫妻の子供として生まれて来たいときっと心の中では思っていたのではないかと推察します。
戦争で家族を失った者の悲哀が十分に表現され、身につまされるものがあり、25歳で戦死した息子の死を運命として受け入れようとする親としての信三先生の気持ちを察すると心が痛みます。読み終わった読書感としてはさわやかさを感じました。それは新吉氏の人柄からくるものかなとも思いました。
最後に昨今、携帯電話やSNSで短文のやり取りをする吾々は、いったい後世に何を残せるだろうか。 ………
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