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杉並の風
 
 年寄の冷や水
曽我 一紀(S38 法)
 
ジャンルを問わず音楽を聴くのが好きだ。
子供の頃から、家に置いてあったピアノをいたずらでたたいているうちに
面白くて、譜面も読めないまま、聞いた曲を自己流でなぞっていた。
就職して独身寮でギターを玩び、ボーナスで身分不相応なステレオ装置を買った。
さらに高級スピーカーに魅せられどんどん装備がエスカレートしていった。 
 現役を退き、無性に何か楽器をやりたくなり、弦楽器、打楽器、管楽器等すべての音を実現できるエレクトーンに目をつけた。コンピュータに助けられ、多様な独り合奏ができることに魅力を感じたからだ。早速、銀座ヤマハの「大人の音楽教室」に入門した。古ピアノを撤去してエレクトーンを購入し、週1回銀座に通い、毎日夜中に4時間ほど練習、半年が過ぎ、そこそこ弾けるようになった。
 ポップス系、クラシック系、映画やTVのメインテーマ曲などを選んで、練習を楽しんだ。年一回ヤマハホールでの発表演奏会に出て、審査員奨励賞や特別賞などもらったが、東京都大会に出られる金賞には最後まで届かなかった。
 ちょうど好きな油絵を家内と一緒に始め、展覧会スケジュールと調整しながら両立させるにはだんだん負担を感じるようになり、100曲を超えた頃からレッスンを月2回にペースダウンしてもらった。
 一方、老眼、乱視、白内障が進み眼鏡をかけても譜面がぼやけてよく見えなくなってきた。子供や学生が速い曲を難なく弾きこなすのを見て、悔しいけど歳かなと落ち込むことが多くなっていった。以後発表会への出場も断念し、ゆっくり自分のペースで楽しむことにした。
 私より後からヤマハ荻窪教室に通っていた同居の小学孫娘達の講師の提案で杉並公会堂での各地域合同の発表会に、トリで祖父親孫3世代4人の合奏に参加、過分の拍手をいただき嬉しかった。これが人前で弾く最後となった。その後両手両足を使う楽器に懲りて、単純なオカリナを半年やったが、音域が狭く物足りないとやめてしまった。
 そしてつくづく思い知らされた。「高齢者でも熱意があれば極めることができるさと高をくくって始めたが所詮年寄の冷や水だったな」と。白内障と角膜矯正手術を終えて、気力も失せ、ヤマハ教室から2年前に脱退した。
 それからは好きな音楽を「聴く」ことを楽しみ、まだ冷や水になっていない絵を描くことを楽しむことにした。
 8年間の悔しいけど楽しかった「年寄の冷や水」の一席、お粗末でした。
 


 

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