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杉並の風
 
 様々な風  
 
岩竹 徹 (S49 工)
1974年に塾の工学部を卒業後、海外で10年ほど武者修行をしました。ヒッピー風な人達が行き交う広大なイリノイ大学はそれ自体が街の様で、キャンパス内に飛行場までありました。が、一歩外へ出ると見渡す限りのコーン畑で、その中を一直線にハイウエイがどこまでも伸びている、といった感じでした。ある時、大きなトラックが横転している現場を通った事があります。輸送していたビール缶が道路一面に散乱していました。怪我人は居ないようでしたが、現場にいたお巡りさんが近づいてきて、「欲しいだけ持って行って良いよ」とニコニコしながら言うので、車のトランクをビール缶で満タンにして帰りました。アメリカのこういうところが好きだな~。
  修士を終えた後、シカゴで1年間過ごしました。美術館やシカゴ・シンフォニーなど、素晴らしかったなぁ。ミシガン湖畔で吹く風は夏は快適ですが、冬は身を刺すようになり、外出して数分も経つと当時伸ばしていた髭に氷柱が下がりました。その後ハーバード大学へ移り、1980年に作曲でPh.D.を得ました。チャールズ川沿いを風に乗って自転車で走ればマサチューセッツ工科大学があります。ここではコンピュータ音楽を研究しました。よく「シンセサイザーですか?」と聞かれますが、ソレ違います。コンピュータはおよそ人間が思いつく事であれば何でも出来るところがスゴイんです。例えば脳の行う音響知覚のプロセスをモデル化し、その一部を変形すると、非常に斬新な音響体験を作り出す事ができます。この分野は音楽の主流にはなっていませんが、研究と創作が一体になり素晴らしい可能性を秘めています。最近では研究がどんどん進み、かつては自分で書いていたプログラムが部品化されたりで、かなり楽になって来ています。
 そうこうしている内に、出来たてのSFCで教員の職を得ました。最初の数年間はまだキャンパスが完成しておらず、工事現場からの「ダダダダッ、ガガガッ」という爆風の中では否が応でも戦闘モードになり、「この爆音、音楽になるぜィ」なんて考えながらの研究・創作活動は楽しいものでした。当時から起業を目指す学生も結構いて、教員も学生も大学に良く泊まり込んでいました。自室で朝起きてトイレに行こうとするとドアが開かず、不審に思って強く押すと、ドアの前の廊下で、学生が寝袋に入って寝ていました。危うく踏ん付ける所でした。
「なんでこんな所に寝ているんだ?」と聞くと、目を擦りながら「研究室には女子学生が寝ているので、自分は廊下なんです」との事でした。立派な紳士の卵ですね。
 引退した今では、テニスコートの風を楽しんでいます。

    


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