私は我が家の北側通りを密かに犬の散歩道と呼んでいる。朝と夕は子どもたちの通学路であるが、一日の大半はお犬さまたちが人間を連れて行きかう。時々人間たちが立ち話をしていると、犬たちがくーん、ワンワンと騒ぎ始める。飼犬の呼び声に人間が慌てる。
この道路は幅が広い。3階以上の建物もなく、空が広々している。五日市街道と併行して、環八へ通りぬける道路が整備される予定であったらしい。十数年前にスピードを落す道路設計で、環八への通り抜けはできない区道となった。通行車両の大半は近隣の住民か宅配便の車だ。
動物は苦手だ。あの獣臭さが嫌いだ。半世紀をとっくに過ぎるほど生きてきたが、人間の子ども以外に可愛いと思った動物はいない。
野良犬がまだ路上を闊歩していた時代に少女期を送った私は、犬の薄汚れた毛、うううと唸る声、唸りながらむき出しにする牙のような歯、それらすべてが嫌悪の対象だ。
6歳のころ、近所の子どもたちと鬼ごっこかなにかをしていた時だった。走っている私の後ろから犬は吠えながら、追いかけてきた。恐ろしく、怖く、ただ走った。走った。しかし、犬はあきらめない。どうしよう、助けてと思ったが、誰もいない。逃げる、犬が追いかける。もうだめと思ったとき、小屋があった。私はそこを曲がった。犬はまっすぐ走り去った。噛みつかれず、押し倒されることなく、私は逃げ延びた。
我が家にはミニチュアダックスフンドの7歳のメス犬がいる。彼女は2代目。20年近く前、夫から退職して時間ができたので世話をすると言い出し、犬が我が家にやってきた。当時、働いていた私は、なるべく犬を避けて暮らした。その仔犬を抱けるようになるまで数ヵ月かかった。犬の匂いも閉口した。
しかし、人は慣れの動物らしい。私は初代の犬を1人で散歩させることはなく、たまに犬と夫の散歩に同行した。2代目の犬が来てからは、夫と犬の散歩についていくようになった。夫が入院中、愛犬の散歩は私の役目となった。「あら、今日はママと一緒なの?」と声を掛けられるが、私は立ち止まって犬のリードを握りしめ、相手が行き過ぎるのを待つ。
彼女を膝に乗せて体温を感じていると、幼かった子どもを抱いていた記憶がよみがえる。
私が好きなのはこの犬だ
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