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杉並の風
 
 私と「ふるさと」の縁
 
船田 昌喜 (S51 経)
 
「ふるさと」というと、出生地や育ったところをイメージします。私は東京生まれの東京育ち、祖父が若い頃に愛媛から上京して定着して以来なので、私にとっては東京がふるさとということになりますが、あまり意識したことはありません。
 私は昭和51年に卒業して今年で46年になります。卒業前年の夏はとても暑く、4年生は翌年の就職に向け「会社訪問」(当時は就職協定で名目7月頃が選考開始だったかと思います)が佳境にはいった時期でした。そんな時、日本橋にあった愛媛の某地方銀行の東京支店ビルが目に入り、足を踏み入れたところ(これが後々の縁となります)、偶然にも祖父と同郷の支店長(T氏)が私の姓から推測して声をかけてくださり、30分ほど祖父を話題に懇談しました。上京前の祖父とT氏のお父様が懇意にしていたそうで、後年、戦後間もない頃、親族の葬儀などで祖父が里帰りした際のことを、当時高校生のT氏は「よく覚えています」とのことでした。結局、私は他の会社に就職して、その旨T氏に報告しましたが、それっきりおつき合いはありませんでした。              
    
        愛媛県庁(築93年)
 35年後の平成22年暮れ、職場に1本の電話がありました。相手は会社の後輩の愛媛県内の支店長で、「自分のお客様のTさんという方から、『昔、自分の東京時代におたくの会社の船田さんという当時慶應の学生だった方とお会いしたが、今はどちらにおられますか』と聞かれたのでお電話しました。学校法人の理事長で大切なお客様なので必ず連絡してください」というこの電話が、無縁と思っていた「ふるさと」を近づけました。早速、愛媛(松山市)のT氏に連絡して後日お会いする約束をしましたが、なかなか都合が合わず、再会は平成24年秋となりました。私も仕事で長い休みはとれませんでしたが、松山でT氏の主催で夕食をともにし、37年ぶりの再会なのに会話が弾みました。その際同席されていた祖父を知る方々とは、今でもおつきあいを続けています。
 
 松山の鯛めし
 遅くなりましたが、祖父は愛媛県松山市の南に位置する現在の久万高原町の出身(中学以降は松山で過ごしてから大学進学のため上京)です。再会後は、訪れるたびに久万、松山を案内してもらいながら、知り合いも少しずつ増えました。数年前にリタイアしてからは時間もとれるようになり、毎年1週間ほど滞在して松山を拠点に墓参も兼ねて久万地方を訪ねるようになりました。久万高原は松山市から車で約1時間南下、峠を越えた山あいの林業で栄え自然に恵まれたところです。町の紹介を始めるとスペースが足りなくなるのでやめておきますが、東京から来るといつも癒されます(俳優の「藤岡弘、」さん、西武ライオンズ「熊代」選手は久万出身です)。  
久万高原町を望む
 今まで遠い存在であった「ふるさと」がとても近くなり、地元の方々と懇親を深めることを続けています。これも46年前の学生時代、偶然、祖父をよく知るT氏が在京の時に銀行を訪ね、その35年後に、T氏が会社の関係で私を思い出したという奇跡的な偶然の重なりの結果ですが、やはり縁があったのでしょう。あらためて人生の出会いの大切さ、縁の不思議を実感するとともに、ふるさとと私をつないでくださった今は亡きT氏に心から感謝しています。



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