杉並三田会ホームページ
杉並の風
 
 悠久の時を刻む古時計
長谷川 忍 (S44 経)
 
私が生まれた、三重県の母の実家では、櫓時計(大名時計・註参照)がカッチカッチと時を刻みカーンカーンと鐘を打っていました。江戸後期製の二挺天符式機械時計と呼ばれる日本独特の和時計で、数年前に管理人不在となり時計好きの私の所にやって来て現在リビングの中央にでんと構えています。
 私の趣味はアンティーク時計集めと修理です。今我が家には主に1800年代に欧州で作られた、振り子の付いた手巻きの置き時計、柱時計が40個ほどあり、その半数を順次交代で動かしていてカチカチはもちろん、ボンボン、カンカン、ちんちんと賑やかに大合唱しています。それらは至る所に置かれ、ついにはトイレの中に、まだ調整中のものは階段や踊り場にと所狭しと置かれていて出番を待っています。
 1978年、英国病と言われストの嵐が吹き荒れる不況の真っ只中のロンドン転勤となり、労働党キャラハン政権からサッチャーさんに移行する断末魔を見ることになったのですが、経済を牛耳るさすがの英国貴族も多くが屋敷を維持できずナショナルトラストに移管し、家具、絵画、そして各部屋に置かれている時計などの高価なものはクリスティーズやサザビーに、そうでないものは至る所にあるアンティーク店にいろんな手を経て出回り、もちろん露天のフリーマーケットの掘り出し物にもなっていました。
そんな折、暖炉の上に時計を一つ飾ろうと買ったところ不思議に心が騒ぎ、さらに二つ、三つと増え始めました。正確な時刻を知るのは簡単ですが“世紀をまたいで悠久の時を刻む時計”の魅力に完全に取りつかれたのです。
 1386年に作られたソールズベリーの教会の塔時計は今も現役で時鐘として動いていますが、その頃の日本では水時計、線香時計で時間を管理し、寺の鐘で時報としていたこの格差には驚きです。
その魅力とは・・100年以上も大事に扱われ、それぞれの時計が違った時の流れとストーリーを持っているようで、家族の歴史とか、人生とか時代の節目を多分見て来ただろうし、そして今ここにたどり着いている。誰が使っていたのかな、さらにこれから先に何が起こるのか、そんな予感が詰まっている気がしませんか。 これもいいなぁ!アッあっちもいいな!・・・後年再度のロンドンやウイーン駐在で順調に数を増し事ここに至ったわけです。
 
 時計はケースにも魅力がありますが、私は中の金色に光るブラス製の機械に時計師の夢とロマンが込められていると感じています。16世紀の宗教改革で迫害され追われたユグノーの時計師がスイスやイギリスに工房を開き、理系の人なら基本ツールのサイン・コサインの高等数学を駆使して、歯車の角度や個数から動力のゼンマイ、針を進める脱進機(テンプ)、それぞれに独創的な機構と工夫を凝らして正確性、複雑性を追求しています。機械の裏や文字盤には作者の刻印が打たれていて製作年代等が分かります。フライフィッシングが好きな方はそのリールの仕組み(時計と同じ機構)に、腕時計好きの方なら、パティックフィリップやブレゲなどにも見て取れるでしょう。
 時計は時折整備、調整が欠かせません。かつては夢中になり徹夜もしばしばでした。振り子があるものは見た目が可愛くて、比較的調整しやすく、“地震”がなければ正確に動きます。置き場所は水平が必至。左右均等の振幅をとるように調整するためには聴診器は欠かせません。しかし近年外した歯車の順番を忘れてヒヤリとすることが度々で作業は休止状態です。
 さて今の時代なくても済むし、あっても1個で充分な時計を私の後誰が面倒を見てくれるか、西荻駅近辺のアンティーク屋さんに並ぶのか、難題に直面しています。孫たちの中に時計好きがいることを願うばかりです。
 我慢、我慢のコロナ下で又師走を迎えました。すべての時計のネジを巻き、心のネジもしっかり巻いて除夜の鐘に迎えることにします。
少し早いですが、皆さまよいお年を!
                             


 (註)これは今の時計と違い季節によって変わる夜明けと日暮れの時間に合わせて動き方を変える、複雑時計で例えば“お八つ(お3時)”の所以は? そして”“正午”ってなぜ言うの? 落語の”とき蕎麦“等も和時計の秘密の中にその面白さが隠れているのです。興味のある方は谷中の大名時計博物館、や銀座のセイコウミュージアムに出かけてみてください。
世界に誇る和時計の精密最高傑作は、「からくり儀右衛門」こと田中久重が1851年に作った「万年時計」で国立博物館にあります。田中久重は東芝の関係者の方なら知らない人はいない、その前身の創業者です。
 
 



-戻る-   ページTOPへ

suginami-mitakai.com