杉並区・堀之内にゆったりとして風格のある浄土宗「西方寺」がある。徳川初期創建の名刹である。
ここに、太平洋戦争で、南太平洋ソロモン諸島「コロンバンガラ島」に孤立した12,000名の兵士の救出作戦のなかで米軍の攻撃により、戦死した陸海軍の英霊への供養塔がある。
1.救出作戦
日本軍はミッドウェーの敗戦、ガダルカナル島の撤収でソロモン海の状況はますます過酷な状況にあった。
昭和18年9月「コロンバンガラ島」の12,000名の陸海軍部隊は、米軍の重圧下において、弾薬も食糧もない玉砕寸前まで追いこまれた。
この救出作戦は芳村正義少将が率いる「外南洋機動舟艇部隊」により行われた。
救出作戦は「セ」号作戦といわれており、制海・制空権を米軍に握られていた厳重な警戒を避けて、夜間40隻の「大発」を利用して救出することであった。
作戦は米軍の知るところとなり、襲いかかる米軍の駆逐艦・魚雷艦隊の砲撃を浴びる中、約12,000名、98%の人命が救出された。
一方、作戦に当たった陸軍船舶工兵聯隊並びに海軍種子島部隊では、169名、15%もの戦死者を出した。
2. 供養塔
西方寺には、救出作戦で殉死した兵士を弔い殉難の精神を顕彰する高さ4.5mの九重の宝塔と記念碑がある。
宝塔には「殉難烈士供養塔」、記念碑には「殺身成仁」の題下に「外南洋機動舟艇部隊殉難烈士供養塔」の碑文が彫られている。
昭和32年、機動舟艇部隊の隊長芳村正義中将が私財を投じて建立したものである。
以来、作戦が完了した10月3日に毎年供養が行われて、殉死した兵士の名前が読み上げられてきた。
当初は、都知事も出席して盛大に供養式が行われたが、近年遺族や関係者も亡くなって、この数年は、芳村中将のご子息と私の2名となっている。
私は、叔父の海軍中尉 和田睦 22才が大発艇上で、作戦完了の前日敵の直撃弾を受けて戦死し、また弟の叔父 智22才も特攻で戦死したので、この戦争の意味を考える機会と考え、芳村中将の恩情に感謝して毎年供養に参加している。
先々代のご住職と芳村中将との間に10月3日は必ず供養するとの堅い約束があり、たとえ遺族が誰も来なくなって供養は続けていただけるとのことである。
是非、時間のある方は見学していただければ幸いです。
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