年配者による「今どきの若者は、俺たちが若者であった時とくらべると、・・」という若者に対する批判は、古くはシュメール文明の粘土板、プラトンの記述、古代エジプトの宮殿の見えないところにある石工の落書きに見られるそうであり、日本では枕草子や徒然草にも同じ内容の表記がある。年寄りが、若き時代の自分と比べ、若者の行動様式や文化の変化を嘆く、古今東西、何度も使われてきたフレーズである。
時代とともに社会の価値観や行動様式、流行(はや)りは変化していく。老人の行動様式も若者と同じように変化しているはずである。しかし、「今どきの年寄りは、・・」という表現は見たことがない。当然であるが、今の年よりたちよりずっと年上のひとたちは存在しないから。もし、120歳を超える人たちを集めて、「今どきの年寄りたちは、俺たちが年寄りだった時代とちがって・・・」と言わしたら何をいうのだろうか。
いや、彼らは批判めいたことより、「今どきの老人がうらやましい」というのが本音だろう。戦争がなく、医学の進歩と経済成長で、長寿と豊かな 生活を手に入れた。勤めを卒業してから、自由で楽しい自分の時間がたっぷり持てる。ゴルフを楽しみ、海外旅行も気軽に行ける。物資面でも生活面でも、便利に、快適になった。せいぜい、「俺たちが頑張ったおかげだぞ、感謝しろ」程度の嫌味かな。
でも、昔の年寄りが今どきの年寄りたちにただ一つ強気でいえることは、「俺たちの時代には家族の絆がもっと強かった。最後まで家族と一緒に暮らしたよ。君たちは長生きし過ぎている。」 確かに、長生きになりすぎている。年寄りが病になると、世話する配偶者や子供も高齢者、いわゆる老老介護、そして子供(兄弟、姉妹)の数は少なく、かかる負担が大きすぎる。特に認知症の場合は悲惨なことになる。いま、杉並区内に老人ホーム、介護施設は77もあり、毎日介護関連の送迎車が街なかを走り回っている。
施設の中を覗くと、所在ない悲し気な老人が寂しそうに時を刻んでいる。
今どきの年寄りは、過去のどの時代より幸せな年寄りであることは間違いない。そして、今後の地球温暖化や我が国の少子化、経済力の衰退を考えれば、将来においても、あの頃の年寄りは幸せだったといわれる可能性は大きいだろう。その代わり、長生きし過ぎた結果、人生の最後につらいひと時を迎える確率が高くなっている。世の中、いいことばかりではない。だからこそ、今どきの年寄りの1人として、今現在、幸せであることに感謝しつつ、今を充実させて過ごしたい。だが、覚悟だけはしっかりしておこう。
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