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杉並の風
 
 引き算の芸術
松本 久仁子 (H9.環境情報)
 
   かつて句会に参加していたことがある。きっかけは、当時受講していた「古典朗読講座」後のランチにおける先生との何気ない会話だった。あれは確か、講座で『奥の細道』を学んでいた頃だったと思う。私が「子規や芭蕉の俳句が好きだ。」と打ち明けたところ、先生からご自身の参加されている句会に一度来てみないかとのお声がけをいただいたのだ。ただの「俳句好き」が「句会への参加」とは、何とも恐れ多いと一瞬躊躇った私だったが、これは新しい世界を覗いてみる良い機会かもしれないと思い直し、翌月から参加することにした。
 そして迎えた初の句会の日。その月のお題であった「万緑」「夏帽子」等の季語を含む俳句を携えて会場である渋谷の食事処に赴くと、先生を含めほぼ私の祖父母と同世代の皆様が温かく迎えて下さった。その優しい笑顔にほっとした私だったが、順番に自己紹介をされて仰天した。かつて放送作家をされていた先生と同じく、皆さん放送劇団のご出身者やラジオドラマの元ディレクターなど、「言葉」で表現することを生業としてきた方々だというではないか。これはとんでもない場所に足を踏み入れてしまったと、今にも逃げ出したい気持ちを必死に抑えながら、恐る恐る拙句をしたためた短冊を取り出した。
 句会の手順に則って清記から選句へと作業が進み、いよいよ各々が選んだ句を発表する披講の時間となったところで、先生がちらと私を見て「今日は初めての方がいるから、いつもより丁寧に批評を行いましょう。」と仰った。こんな玄人集団の中で、新参者の句が選ばれることなどまずないと信じていた私は、他の方々の句に対する批評を聞いて勉強するだけのつもりでのほほんと座っていたのだが、ここで思わぬ誤算が。思いがけず拙句が選ばれてしまい、批評の対象になってしまったのだ。果たして表現のプロの皆様はどのような評価をなさるのか、初心者への多少の手加減も期待しながら待っていたのだが、「今一つ情緒に欠けるなぁ。」とか「説明文になってるね。」などと、批評はなかなか手厳しかった。
 閉会後、私が少々凹んでいたように見えたのだろう。道すがら先生がこんな助言をして下さった。貴女の感性は決して悪くない、でも「警句」と「俳句」の違いを学びなさい、と。先生によれば、私の俳句は「この土手を上るべからず警視庁」のような、17文字で表されていること以上の意味を持たないものが多かったそうだ。翻って「俳句」は、「定型」と「詩」の2つの要素をもっており、五七五の律動をもった「詩」である以上は、余韻を大切にすることが求められるとのこと。つまり、表したいこと全てを17文字で説明するのではなく、ある程度は引き算をして、あとは言葉のもつ「余韻」に託さなければいけないということだった。
 それ以来、私が「警句」のような投句をするたびに、「俳句は『引き算の芸術』だよ。」と言われ続け、そのうち引き算をしようとするあまり、考えすぎて作為的な句を作ってしまう悪循環に陥った。しかし、その間にも皆様の巧い句を目にし、何かしらを学びとってはいたのだろう。晩秋の頃に行われた句会で、久々に何名もの方から選ばれた句があった。

   朝寒やお早うという白い声

寒空の下、待ち合わせの場で友人と挨拶を交わした際に漏れ出た息を見てふと浮かんだ句。久しぶりに頭で考えずに生まれた句だった。「『白い声』っていうのがいいよ。」そう仰った先生の笑顔に、「少しわかってきたね。」と優しく言われたような気がした。
それから数年のうちに一人また一人と鬼籍に入られ、句会も散会してしまったが、あの時学んだことを思い出しながら、いずれまたゆっくり俳句を詠んでみたいと思っている。



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