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 五街道を歩く
秋葉 忠臣(S42 工)
 
 私は現在、奥州街道を白河に向って歩いている。
最終ゴールは三厩宿(みんまやしゅく)、本州の街道北側の終点である。
ツアー参加型で歩いているから完歩は最早でも2028年末ごろの見込みだ。
五街道歩きの大完歩の時期は私の平均寿命を大分超えてしまうが、人生の目標になっている。

 私のウオーキング趣味は1990年代に欧州勤務から帰国して以来、東銀座本社界隈を歩く機会が増え出したのがきっかけである。
休みの日には江戸時代の古地図を片手に下町地図のメッシュを細かくして歩き回った。都内を始め、関東近郊のウオーキング大会の常連にもなり、30Kmを三日間 合計90Km歩くスリーデーマーチにも熱中し、コロナ前の最盛期には毎年600Km以上歩いていた。大会の常連者の中に街道を個人的に歩き回っている人が居た。私も感化され先ずは50Kmウオークなどコースを設定して歩き始めてみた。五街道歩きの原点である。

 五街道は徳川家康の時代に整備が始まり、二代目秀忠の代、1604年に日本橋を起点として一里塚の設置や宿場の機能整備などが決められ、東海道、日光街道(日光道中)、奥州街道(奥州道中)、中山道、甲州街道(甲州道中)の順に整備された。現在でも日本橋には道路の中心地的なシンボルとして道路元標を見ることが出来る。これは街道歩きの象徴である。
 20年前には余り個人で歩いている人の話を聞く機会が無かったが長距離のウオーキング大会の経験を通じて徐々に東海道など江戸時代と同じように歩き通したいと考え検討し始めた頃である。昔の旅人は日の出と共に歩き始めて何キロ歩く?などと真剣に計算もしてみた。
ウオーキング協会の知人を通じて情報も入り出した。
そのころツアー会社から一回あたり12~3Km前後に分けて歩くツアーが企画され始め、早速参加することにした。
 東海道は2015年4月スタートした。
日本橋の近くの常盤橋の広場に集合、20名ぐらいのグループに分かれて東海道のスタート地点である日本橋の道路元標に向かう。カーレースでのローリングスタートの気分である。競争ではないからガイドの案内でグループごとに歩き続ける、私にとっては初めての経験であった。東海道歩きではツアーと言ってもガイドもウオーキングの経験者ばかりで我々参加者も道中の説明よりも歩く事に興味がある傾向が強かった。
昼食も手配車が入れる道路で弁当を配布、川岸や道ばたで済ますことが多かった。豪雨の中を終日歩いたことも何回かあり、強く記憶に残っている。とにかく良く歩いた記憶がある。
東海道五十三次は約500Kmを25回に分けて京都三条に2017年10月ゴールした。
 こうして始めた五街道歩きは2018年1月には甲州街道をスタート、約220Kmを16回に分けて歩き、2019年9月ゴールした。
甲州街道は日本橋~半蔵門から内藤新宿を出るとほぼ20号線、玉川上水等を過ぎ武蔵国から相模国、甲斐国、そして下諏訪宿で中山道に合流する街道である。峠歩きも多く、歩く楽しみを堪能出来る街道であった。
 日光街道はこの時期に計画を練り、昔の会社仲間や杉並三田会の仲間の参加を得て甲州街道歩きの終了後2020年3月に実現した。五街道では一番距離の短い街道歩きで一気に歩く計画としたので途中の昼食場所や宿泊場所の確保など一番苦労した。

行程は3月14日日本橋を出発、粕壁宿に宿泊(歩行距離38Km)、15日粕壁出発、小山宿に宿泊(歩行距離45Km)、16日小山出発、奥州街道との追分である宇都宮宿に宿泊(歩行距離30Km)、17日宇都宮出発、鉢石(日光)ゴール(歩行距離36Km)した。
総歩行距離 約150Kmであった。目標平均歩行速度5Km/h 1000m/12分として計画して歩いたがほぼ予定通り歩く事が出来た。
一ヶ月時期が遅くなったらコロナ禍で実現できなかったかもしれないことが強く記憶に残る街道歩きとなった。日光街道宇都宮宿の追分から別れる奥州街道も個人で歩きたいと思っていたがコロナ禍で全て計画は止まった。奥州街道は次の中山道が終わる2023年5月以降、動き出すことになる。
 中山道は2020年1月より始めていた。前年に歩いた甲州街道歩きの仲間達と誘い合ってのスタートであった。総延長は東海道よりも長いが川止めが少ないことや関所の厳しさの関係などで意外と江戸時代の交通量は多かったらしい。
和宮親子内親王降嫁のルートであったので東海道とは全く異なる歴史背景で興味深い史跡を数多く訪問することが出来た。軽井沢周辺や木曽川沿いなどは山歩き、峠越えなどが多く、歩くのが好きな我々には楽しいコースと言えた。
また信州は蕎麦も名物で東京とは異なる蕎麦打ちなどを楽しみながらの街道歩きでもあった。
中山道歩きをしていたときは時期が悪く、しばらくするとコロナ禍がひどくなり、いつ再開されるか分からない事態も続いた。結局、予定よりも 一年以上遅れて2023年5月に京都三条にゴールすることとなった。
 コロナ禍も収まりだした2023年後半、街道歩きの虫が騒ぎ出し、五街道完歩の完遂を思い立った。
奥州街道は日光街道との追分、宇都宮宿から本州最北端三厩宿迄のコースである。
江戸幕府直轄の街道は白河宿でゴールであるが中山道としては三厩まで続いている。完歩と言えば三厩までと勝手に決め、先ずは白河宿を目指すこととした。
2023年12月に宇都宮追分を出発、現在、6月に白河宿ゴールを目指して歩いている最中である。
白河宿に到着すれば所謂五街道完歩ではあるが、計画ではその後、2024年10月白河を出発して仙台を第二区画、さらに2025年には第三区画として仙台~平泉、第四区画は平泉~盛岡、第五区画(最終区画)は盛岡~青森~三厩宿として2028年末頃ゴールを目指している。
日光街道宇都宮宿までの重複部分を含み、奥州街道を日本橋から900Km歩くことになる。
これで徳川幕府に始まった「五街道完歩」達成である。
 五街道歩きを完歩したら何処を歩くかが既に歩く仲間の話題になっている。
熊野古道制覇(伊勢路、中辺路、小辺路だけでなく熊野から吉野まで)や奥の細道を辿ろうとか体力や年齢のことを忘れて話題は尽きない。
今のところは「街道歩きロス症候群」を避けるために奥州街道と並行して距離は短いが松本から糸魚川の千国街道(塩の道)で様子を見ようとも思っている。
同好の士がいたらコメントをいただきたい。
 



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