シルクロードの町・サマルカンド |
伴内 孝雄(S37工) |
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2008年夏から一年間、ウズベキスタンのサマルカンド外国語大学で日本語のボランティア教師を務めて来ました。サマルカンドはシルクロードのオアシスの町、玄奘三蔵やマルコ・ポーロが訪れたことでも知られ、その後ティムール帝国の首都として繁栄しました。現在も旧市街地のモスクや廟の青いドームが中央アジア特有の景観を作り出しています。
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中央アジアで日本語を学ぶ人のいることが意外に思われるかも知れませんが、首都タシケントの大学4校で日本語授業が行われていますし、サマルカンド外語大には1998年から日本語コースがあって、優秀な観光ガイドを輩出してきました。
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バザールや街中では時々日本語で話しかけられました。外語大の卒業生や日本へ数年出稼ぎに行って来た人達です。親日感情が驚くほど強く、その理由として日露戦争での戦勝、シベリア抑留捕虜の当地への貢献、近年のハイテク立国への憧れなどが指摘されています。とは言え、ソ連崩壊による独立後18年目、雑貨類は中国製が圧倒的に多く、韓国との合弁企業が組立てる乗用車が普及し、日系企業は商社を除けば「いすゞ」のバス組立工場くらいしかありませんでした。ようやく2008年に政府間投資協定が結ばれ、今後ウランなど鉱物資源の開発に絡んで人的交流も増えると思われます。
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人口約30万人のサマルカンドに住んでいた日本人はたったの6人、私以外はJICA青年海外協力隊の若者でした。お陰で週末や休暇には日本・ウズベクの若者にハイキングや観光旅行に誘われ、楽しい思い出になりました。また、丁度サッカー・ワールドカップの日本・ウズベク予戦がタシケントで行われ、初めてWC予戦を観戦する機会にも恵まれました。
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皆さんには、次の海外旅行に「中央アジア・シルクロードを巡る旅」をお薦めしたいと思います。きっと優秀な日本語ガイドと「おもてなしの心」が歓迎してくれることでしょう。 |