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杉並の風
      
「艇差 一尺」(メルボルン五輪への30cm)
 
 

増田 弘(32年 経)
   
  ロンドン・オリンピックは日本のメダル獲得数38個の新記録の盛況で終えたことは嬉しい限りである。そして、何よりも嬉しいのは、慶應義塾の塾員、塾生が7人も参加したことである。特に5位入賞した400mリレー一走の山縣亮太君(総合政策2年)の爽やかな笑顔が印象的だった。

 我が慶応大学体育会には、卒業同期の会がある。僕たち32年卒業生は無心会と称して定期的に懇親会を持っている。大体創部順に幹事を務めるので野球、水泳、端艇は既に何度か一緒に幹事会を持っている。しかし活動部が違うと意外にお互い疎遠になりがちではあるが、野球部の僕と端艇部の元キャプテン須永定博君は塾高時代に机を並べたこともあった。彼は56年前にメルボルン五輪のボートのエイトで慶応大学クルーを日本代表に導いたキャプテンという実績を持つ羨ましい存在である。


 メルボルン郊外で練習する慶応クルー
先日の幹事会の帰り際に珍しく彼と二人に成り、「久しぶりでコヒーでも飲もうか?」と、喫茶店に入った。比較的寡黙な彼と色んなクラスメートの話をしている内に、彼が「今年の連合三田会で慶応大学クルーがメルボルン五輪の代表に選ばれたことを話すことになった」と恥ずかしそうに教えてくれた。そしてその顛末が書いてある「艇差一尺」という本を教えてくれた。
 
僕は早速その本を買った。そして涙と興奮で一気に貪り読んだ。話の内容は慶応と京大の最終決戦に至った両校クルーの涙と友情の裏話と、未だに語り継がれる最後の一騎打ちとなった激闘のレースの模様の再現である。試合の結果は両艇の差が2.000メートルのレースで僅か30cm、時間にして約0.2秒差。「艇差一尺」で慶応が勝利して代表となった。この激戦を制した時のキャプテンが須永君だった。その勝負がいかに際どかったかはレース後半世紀を経た今時になって京大側から「艇差一尺」として、慶応側から「航跡」として書籍で再現されていることからみてもうかがい知れるだろう。
 
 

オールを持つエイトクルー
偶々、今年はオリンピックイヤーでこういう話になったのかも知れない。しかしオリンピックに出たか出ないかは別として「不可能を可能にする」努力のプロセスを含めて、最近はともすると薄れがちな慶応義塾のよき仲間意識が人生を通して息づいていることを著書を通じて再認識して大変喜ばしく思った次第である。




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