私の夢と杉並の家
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加藤 直子(H02年 経)
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私はまだ昨年杉並三田会に参加を誘って頂いたばかりの若輩でございますけれども、「杉並」ということでしたら、6歳から転勤を除いたほぼ全ての期間在住しておりますので、「権利有り」かなと自負しております。建築学科が無い慶應卒でいて建築士であるということでお声がかかったのかなと思っておりますので、少しそこのところに触れさせて頂きます。 |
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今にして思えば、小さい頃父親にねだって買ってもらった絵本が「法隆寺」で、中にあった緻密なお寺の骨組みに恋していたころから、「建て物」が好きだったのだと思います。
自宅を両親が杉並に新築した時に建築家という職業を知り、とても憧れました。がしかし、当時私は中等部2年生で、楽しい慶應を抜け出すことができず、大学まで一気に10年間楽しんでしまいました。
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我に返ったのが結婚後主人の転勤で渡米した時のこと、「主人の転勤に着いてきた」と説明する私に、米国人たちは「で、あなたは何をやってるの?」。まだこどももいなかった私に「あなたは誰?」と問いかけるのです。そこは、誰であっても、何歳であっても好きなことにチャレンジできるアメリカ。そして、自分はできるんじゃないかと錯覚できるんですよねー(笑)。さっそく大学の門をたたき、自分のやりたい分野にシフト、その時植えつけられたマインドは、その後帰国して子連れで2級建築士、1級建築士の試験をうけるときにも励みになりました。やっぱり、アメリカは褒め上手なんですね!
(自分のこどもたちの教育に生かそうと思っていたのですが、やっぱり慣れ親しんだ日本人の本性?が邪魔をしてなかなかうまく褒められませんが…) |
今は、クライアントとじっくり話し合って、その方の真のニーズをくみ取り、私の主婦としての経験もおりこんで、主に住宅を設計しています。20年前に既にアメリカでは当然であった、断熱を効かせて家中の温度を一定にすることや、バリアフリーなどもいち早く取り入れ、間取りで家事を軽減しよう!というのも自分の中での大きなテーマにしています。そして、絶対どこかにワクワク感もプラス。(右の図は、ライブラリーが欲しいと注文頂いた住宅です。本棚の中に階段が仕込んであって、半壁の裏にも仕事用デスクを隠しています。)「こんな風になったのね。」と喜んで頂けたら、とても幸せです。 |
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そして、私が設計した母親宅の地下に作ったレッスン室が思いのほか音響がよかったので、母が企画して若手音楽家の腕試しの場として活用してもらっています。主にご近所の皆様に聴きに来て頂いていて、中には世界的コンクールに優勝し、世界で活躍する様になった音楽家の卵も出ています。この杉並の家が彼らがいつでも帰って来られる巣となって、皆様と応援していくことができればいいなと思っています。 |