こんなに育っている慶応の森林 |
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長島 昭 (S36 工)
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慶応義塾は各地で素晴らしい木を育てています。立派な木を育てるのには3つ必要なものがある、それは太陽の光と水、そして持ち主の足跡だそうです。全国各地の慶応の山林には、地元の塾員林業家の皆さんの足跡があります。地震と津波で大被害を受けた宮城県の志津川(南三陸町)には慶応の広大な山林があり、塾員佐藤久一郎さんのお世話になっています。 |
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元市街地から見る南三陸町の山
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慶応義塾の山林事業は、戦後の財政難を痛感した高村象平元塾長の主導のもとに、将来の財源のために昭和40年に始められたのです。林業三田会による物心両面の絶大な協力により財団法人「福澤記念育林会」が設立されました。初期は国有林に慶応の木を植える“分収林”が多かったのですが、志津川の広大な山林は佐藤久一郎さんとお父上のお世話で慶応自身が所有するものとなりました。 |
佐藤邸跡から見る旧町役場(南三陸町)
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しかしその後外材が安く輸入されるようになり、育林会は数十年にわたって忘れられた静かな存在になります。筆者が育林会理事長を当時の鳥居塾長からおおせつかった1993年ごろは、一般の塾員は慶応の山林事業をほとんど知りませんでした。その間も、山林維持は林業三田会の献身的な働きで続けられたのです。筆者が慶応の山林に行ってみたら、かつて塾長の佐藤朔先生や石川忠雄先生の植えられた木が太く立派に育っていました。 |
1995年ごろから新たに考えたのは、環境貢献と教育貢献を加えることでした。特に、都会育ちの若者たちに心のふるさとを作り、また都市に偏る入学者を地方に広げるためにも、全ての都道府県に慶応の森を作れないかと夢を膨らませました。しかし財源がなく、各地の林業家に山林のご寄付をお願いして、学生や生徒に木を植えてもらうことを考えました。三重県の吉田善三郎さん、和歌山県の海瀬亀太郎さん、静岡県の井草實さんはじめ多くの塾員のご協力で、志木高校、幼稚舎などの森(杜)が続々と誕生しました。志津川でも鳥居塾長を先頭に、多数の学生諸君と東北各地の三田会有志による植林を実施しました。 |
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第1回の修善寺植林
幼稚舎生と鳥居塾長 |
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林業家だけでなく広く一般塾員のつながりも作りたいと、日本の林業界をリードされている海瀬さんや速水享さんと相談して、育林会の「友の会」を2001年に設立しました。毎年1万円(またはそれ以上)の会費を負担して慶応の山林を支援し、育林行事に参加していただく制度です。当時の橋本竜太郎首相がまっさきに会員に名を連ねて下さいました。友の会は今も続いています。
最近、福澤記念育林会は日本の法人改革の荒波を受けて、全資産を慶応義塾に寄付して塾有林として統合されました。 |
慶応義塾の山林所在地 |
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今、慶応の山林には素晴らしい木が育ち、
そろそろ伐採に値する山林も出来始めています。
志津川の佐藤さんは、東北復興のためにはとにかく皆様が来て下さって、うどん1杯食べて下さるだけでも支援になるのです、という熱い言葉を言われたことがあります。
ぜひ皆様も南三陸町を訪れて、慶応の森を
見て、うどんを食べて、そして現地の未来に夢を馳せて下さい。 (元常任理事、育林会も担当) |
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今年の修善寺の植林
幼稚舎生と清家塾長 |