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城巡りのススメ
   ( 中世の城・倭城・官兵衛・ブルックナー)
 香 取 昻 宏 (S44 経)
 
江戸城はだれが作ったか? 太田道灌?いいや石工や大工さんたちです。というのはくだらないジョーク。企画者あるいは設計者と施工者が違うのは「建築・土木工事」では常識。いろいろな分野でも同じようなことがいえる。
では美術、ミケランジェロ作、かの有名なシステイーナ礼拝堂の大壁画を描いたのはミケランジェロ本人か?といえば、そうではない。一種のプロジェクトチーム(工房集団的な)があり、大勢の人々が寄ってたかって描いたのである。とはいえ作家のプランというものは厳然と存在している。どう転んでもあれはミケランジェロ。 
 では土木を主体としたもの、日本には約4万ともいわれる“城”がある。すべてを見たいと思っても、とても見て回りきれるものではない。極端に数字が小さくなるがおよそ1200ヶ城余りを巡ったのが今の私。むろん好きな城には数十回も行ってしまう。
 城に行くといつも思う。いったい誰が作った?いつごろ?どのくらい時間が経ってる?だれが計画(縄張り)した?何のために?その築造や破壊の歴史は?その規模は?といった具合に疑問符はいっぱいつく。小学校のころから好きになって、いまや生活習慣病的な立派なビョーキとなってしまった。
今のめり込んでいるのが、中世の山城と韓国にある倭城。日本における中世は、まさに戦国の世、様々な英雄豪傑が互いに鎬を削り、隣国を侵略し、知能と戦略を駆使して強大な権力を手に入れていく。その過程に幾多の城の攻防があった。  


肥前岸岳城の石垣と筆者
つい先日訪城したのが佐賀県の岸岳城。
こんな山の中にと思うようなところに累々と石垣を築き、多くの郭をもった堂々たる城郭なのだ。岸岳城の歴史は古く、平安時代末期に築かれたのに始まる。もっともその頃はもっと小規模な山城であったものだろう。この一族はやがて波多氏を名乗り、岸岳城を拠点としながら、数百年にわたって、この地域を支配していくことになる。これらを造ったのが、ほとんど名も知れぬ地元の民百姓が徴用によって作業に従事した。プランニング(縄張り)は誰がしたのだろう。城の歴史は面白い。
今回の城巡りは福岡からスタートして基肄城、佐賀に入って12ヶ城を巡った
   
そして、城の縄張りのみならず、天下取りのプランニングをした男たちがいる。その代表的な人物が黒田官兵衛。官兵衛はその築城や合戦が秀吉の名に隠れて表には出てこないことが多い、いわゆる軍師である。実は官兵衛は国内の城だけでなく、秀吉が強引に進めた文禄・慶長の役の際に韓国釜山を中心にその東西に作られた秀吉軍の城、いわゆる倭城のプランニングに携わっている。すばらしい縄張りの城が今も30カ城ほど厳然として残っている。軍師・黒田官兵衛は来年のNHK大河ドラマである。 
 そして戦国期をテーマにした大河ドラマに使われる曲は、なぜかブルックナーに似ている。 
 
 韓国の倭城
西生浦(ソセンポ)倭城
ワグネルソサイエテイ―・オーケストラでホルンを吹いていた私は、城巡りをしながらブルックナーの交響曲が頭の中を渦巻いていることがしばしばである。なぜならホルンが活躍する場面が多いから。城巡りは、いろいろな要素が重なる。城下町のたたずまい、美味しい和菓子、茶道、地産の名物、城巡りは総合芸術。皆様にも城巡りをお勧めします。 
     




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