川 柳 と 私 |
佐藤 博信 (S39年経)
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平成16年6月に私は定年退職。18年4月その後の過ごし方を模索中にたまたま武蔵野川柳教室の生徒募集を知り入会しました。全くの初心者でしたが、作り始めて間もない同年10月武蔵野市民文化祭川柳大会で特選に選ばれました。定年退職して2年目の実感川柳です。 |
題 『駅』
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○私の好きな古川柳 |
川柳と言うと今では第一生命のサラリーマン川柳が有名です。
<うちの嫁後ろ姿はフナッシー>(25年度第一位)
<いい夫婦今じゃどうでもいい夫婦>(24年度第一位)
しかし川柳の元祖と言える江戸時代の川柳(古川柳)にも多くの名句があります。
私の好きな句をご紹介します。
<泣き泣きもよい方を取る形見分け>
<役人の子はにぎにぎをよく覚え>
<是小判たった一晩居てくれろ>
<這えば立て立てば歩めの親心>
*柄井川柳(1718~1790):江戸中期の前句付(七・七の短句に五・七・五の長句を付ける俳諧の
一分野)の人気点者。その撰句が川柳点。のちに単に「川柳」と称す。
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○「川柳きやり」誌からの日常茶飯の川柳人気べスト3 |
22年7月「川柳きやり吟社」社人になりました。私が「川柳きやり」誌から選んだ40句の中から「吉祥寺村立雑学大学」受講者が選んだ好きな句です(25年11月)。
<正論がむなしく消える多数決> 渋川渓舟
<子は自立あとは夫の自立待つ> 井口脩司
<又来たか頼みもしない誕生日> 清原厚之
*村田周魚(しゅうぎょ)と「川柳きやり」吟社
大正・昭和時代の六大家の一人、村田周魚(1889-1967)が大正9年に「川柳きやり吟社」(現主幹・竹本瓢太郎(慶応OB))を創立し「川柳きやり」誌を創刊。戦時下にも一号の休刊することなく発行を続ける「川柳きやり」は「日常茶飯的発想の中で生活を織り込み、平易な言葉で表現」という作句の伝統を今も守っている。東日本最大の川柳結社。 |
○周魚賞受賞 |
25年7月に第44回周魚賞受賞の連絡を受けます。24年1年間に「川柳きやり誌」掲載の約8000の日常茶飯の川柳のトップの賞です。
晴天のへきれきで「大変なことになった」というが最初の感想です。
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武蔵野川柳教室で竹本瓢太郎先生の指導を受けながら毎月川柳を詠みまた他の人の良い
句を読んでいます。現代川柳は生活の中の思いや感動を口語で親しみやすく詠む生活の詩
と言えます。皆さんも季語が不要な五・七・五を作ってみませんか。 |
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「周魚賞受賞を雑大で報告」が載るタウン誌『週刊きちじょうじ』 |
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